私タカツやヨコ子、アンナが所属しているのは、社内の「制作二部」と呼ばれる部署である。雑誌や広告などで、取材して文章を書くコピーワークや編集作業が主な業務だ。僕はこの仕事に就いてもう7、8年になるが、あらためて自分の仕事についての考察を、このブログを借りてまとめてみた。
我々「ライター」と呼ばれる職業の人間にとって、現場に行って取材をするという行為は日々の業務の一環であり、当たり前だがそれをしないと仕事にならない。某タウン情報誌の取材・編集業務をメインの生業としている我々にとって、その取材先というのは主に飲食店となることが多く、掲載依頼をして取材日時を決め(これをアポ取りと言う)、カメラマンと共に現地(つまり店舗)へ取材に赴くのだ。
こういう仕事をしていてよく友人や知り合いから言われるのが、「たくさんお店知ってるんでしょ?」とか「タダでメシ食べられてうらやましい」とか、さらには「いい店教えてよ」などという言葉。おおむね「かっこいい」とか「うらやましい」なんていう類の、イメージの良い派手めな評価を頂戴するのである。
決して悪いことではないのだろう。自分の仕事を良く言われて決して悪い気はしない。ただ、何もこの仕事に限ったことではないが、イメージ通りの「いいこと」ばかりではなく、決して派手な仕事ではない。むしろ、結構地味、だと僕は思うのだ。
確かに取材ではあっちこっちに行く。しかし「会社の経費で毎晩のように取材の名目で飲み歩いた」なんていうような話は僕にとっては遥か遠い昔の神話のようなもの。本当に必要な経費以外は、当たり前だが1円たりとも出ないのが現状だ。そのため、有名でも行ったことのない店は山ほどあるし、「社会勉強」と称して食べ飲み歩くほどの体力もあいにく持ち合わせていない。したがって、人に教えられるほどの「いい店」の引き出しもさほど多くはないのだ。「タダでメシ」にしたって、全部が全部食べさせてくれるわけじゃない。確かに飲食店でメニューの取材をした時には「どうぞ食べていってください」とか「おみやげに持って帰って」なんて言ってくれる店がほとんどだ。味を書かなければならないので、その時はありがたく頂戴する。せっかく作ってくれたのだから、僕のポリシーとして極力全部を食べるようにもしている。だが、もちろん個人の好き嫌いの部分で、僕の好きなものばかりを取材するわけではないし、撮影が終わるとさっさと引っ込められてしまうこともしばしばだ。
冒頭のように、1日に3軒とか4軒とか飲食店の取材が続くと、最後のほうは満腹で食べられないことだってある。以前、1日に4軒のラーメン店の取材をしたことがある。その日一番最後に行った店で登場したのが、標準的サイズよりもやや大きめな丼で、豚角煮が2つのったチャーシューメンの味噌! まるでゲームのボスキャラのような存在感で目の前に現れ、それまで3杯のラーメンを収めている僕の胃袋を彼は容赦なく攻め立て、痛めつけた。さすがに全部を食べ切ることができず、「かまいませんよ」とお店の人は言ってくれたが、僕は罪悪感を感じたと同時に体調の悪化も感じることとなった。帰宅後に嫁に「顔が土気色をしている」と言われた事はいまだに忘れられない。
このように、この仕事は意外と体力が必要だし、個人の好みに合わなくても「良くない」とは書けない。取材で気が張った後はPC画面とにらめっこで肩腰が張り、締切りが迫ると鬼気も迫る。いいことばかりではないのである。
それでも、僕はこの仕事が好きだ。
とにかく面白いのである。
「いい店」はさほど知らないと先に書いたが、逆に捉えると、まだまだ自分の知らない場所が多い、ということでもある。この仕事は、それら未知の場所や世界に飛び込むことが可能なのだ。行ったことのない店に行く。訪れたことのない場所に行く。知らなかったことを知る。己の探究心や好奇心をビンビンに刺激されるのが楽しくて仕方ない。
自分が感じた取材先の魅力を的確に文章にできているのかと自己評価すると、残念ながら自信を持ってハイと答えるにはまだまだ躊躇する。少なくとも、僕が楽しいと感じた部分を、自己満足ではなく、少しでも読者に共感してもらえるようにはなりたいものだ。
とある友人に言われた言葉が、もうひとつある。
「好きなことを仕事にできていてうらやましい」。
僕はもしかしたら、自分が思っている以上に幸せな環境にいるのかも知れない。そんなことを、取材先でラーメンをすすりながら考えていた。
いったい仕事で何杯ラーメン食べたかなど、もはや察する術もない(写真はイメージです)